ヒップホップについて語ろう

音楽、ラップ、文化

2Pacになれない僕ら

歯に衣着せぬどころの騒ぎじゃない。ラッパーは命懸けで思いの丈をぶちまけるところがある。保身的で自分の殻に閉じこもりがちな自分はとても憧れる。

 

ラッパーがよく使うrawという言葉がある。本来の意味は生(ナマ)ということになるが、これはスラングで、嘘や飾りのない、心底本気の、といった意味合いがある。ヒップホップの作品はrawなものが多く、いい意味で作品を評価する時にも使われる。

 

それが仇となって、攻撃的過ぎたり、不適切な表現として批判されることもしょっちゅうだ。だが、世間体を気して言葉を選んだ歌詞など、ダサくてファンはついてこないのもこの業界だ。

 

だから、歌詞が過激な内容であっても、比喩や韻などの表現力を駆使して芸術のレベルまで高められるか、それともただの下品で低俗な趣味となるかが評価の分かれ目だ。90年代はNasが、今の世代はKendrick Lamarが芸術的な詩(Lyricalと言われる)の担い手としては代表格とされている。

 

Nasと同じ90年台において活躍した、このヒップホップという文化の象徴とも言える2Pacは、よりrawさが際立っている。その作中の言葉使いは時に物議を醸し出し、世間と激しくぶつかり合ったがそれ故に支持層の忠誠も深いものとなった。結局は対立グループに銃撃されて25歳の若さでこの世を去ったが、以降多くのラッパーは、「自分たちストリートに生まれた黒人は25歳までしか生きられない」、と皮肉交じりに歌う事が多い。

 

彼らが短命なのはクラック(コカイン系の麻薬)売買に成り行きで手を染め、利害関係がこじれて殺される事も多い、黒人の居住区に生まれ育つ者達のありがちなストーリーが背景にある。

 

そんな人生が日常にある者達にとって、ストリートから脱出して、音楽産業で生計を立てる事は願ってもない。自らのラップを業界人に披露できる事は千載一遇のチャンスだ。だから、歯に衣着せるどころでは無い。混じりっけない純粋な、本気の思いをラップに載せるわけだ。

 

そんな無数のラップの極々一部が、脚光を浴びる事になる。